個性と呼んでいいものか・・・

Posted by музыка on 24.2008 日々徒然   7 comments   0 trackback
日本ではよく、
「なっちゃん、変。」
「変ってどこが~?」
「っていうか変わってる。」

と言われてましたが、モスクワでは
"Нацуко, ты немножко странная." (ナツコってやっぱちょっと変だよね)
"Почему ты так думаешь?" (なんでそう思うんよ?)
"Как сказать... Наверно ты оригинальная." (なんていうか、たぶん独特なんやわ)

結局どこへ行っても言われることは同じなんですね・・・。
ほんと、これって褒められてるんだか、けなされてるんだか。

挙句の果てに、母親にまで、
「あんたは美人でもスタイルよくもないのに、人込みにいてもなんか他の人とちゃうよなぁ。」
と言われる始末。
「音楽家は人と一緒だったらダメなのよ。違うって大事なことよ。」
と友達に慰められましたが・・・。

高校時代のピアノの先生にズバッと言われたことがあります:
「学生が制服を着ていると個性が消えるから私服を取り入れようとか言うけれど、個性のある人は制服を着ていても個性は現れるのよ。」
この点では私は合格かしらん?

というわけで、一応私は個性的ということにして、こんな私を皆さんこれからもよろしくお願いします。



私って?????

Posted by музыка on 23.2008 日々徒然   3 comments   0 trackback
昨日大学時代の友人達と飲んできました。
話の流れから枕の話になり、ふと思い出した私が上海博物館で撮った変な枕の写真を見せたところ・・・

69d6[1]


「これ、なっちゃんの枕?どこで買ったん?」

えぇぇぇぇぇ~~~~!?
どうして私がこんな枕で寝ると思うの?

「なっちゃんなら有り得るかな、と思って。」

一体私はどんな目で見られているんでしょう。
確かに周囲とはどこかズレている私ですが、流石にこんな枕は買いません!!!

ロシアにこういう言い回しがあります:
Каждый по-своему сумасшедший.
(人間なんて誰だってそいつなりに気が狂ってるものさ)

どんぐりの背比べというか、出る杭は打たれるという風潮のある日本人の性質からは想像しにくいかもしれませんが、この言い回し、まさにロシア人気質をドンピシャで表しているよう。
というのも、「ユニーク」と形容できる人から「気違い」としか思えない人まで度合いは様々ですが、ロシアには所謂「フツーの人」がいない!
そんな場所でも「ナツコは変わってるね」と言われていましたが、それでも生まれて初めて周囲との違和感無しに溶け込めた気がしました。

どんな国にも良い所と悪い所があります。
ロシアは私にとって骨を埋めたい場所とはなりませんでしたが、
”щедрая душа” (誰をも受け入れる心)
という、チョコレートのネーミングにさえなってしまっているこのロシア精神は大好きです。


調律師さんに感謝!!!

Posted by музыка on 18.2008 日々徒然   4 comments   0 trackback
これまでの人生で私が所有したグランドピアノは二台。
一台はかれこれ20年のお付き合いのカワイKG-3、もう一台はモスクワで6年間共に過ごしたグロトリアン・スタインヴェークです。

グロトリアンの方は、製造番号から考えて1910年代のもので、象牙鍵盤でした。
ピアノの規格が確定していなかった時代らしく、白鍵の幅は現代と変わらないものの黒鍵の幅がかなり広めで、指を切って包帯を巻きながら練習していた時にはケガをした指が黒鍵の間にはまり込み、泣きそうになったものです。
保存状態にもよりますが、グロトリアンというのは基本的に丈夫な楽器のようで、100歳に近くなってもいい音色を出してくれていました。

ただ、一つ問題点が・・・。
なにしろ、鍵盤が重い!
練習用の楽器なので指の訓練にもなるから構わないのですが、これがもし本番用の楽器なら、途中でへたりそうなくらいです。
それが、中のメカニックは全くいじっていないにも関わらず、最後の2年は驚くほど弾きやすくなりました。
その秘密は・・・。

そう、調律師さんを変えたのです。
工事の人を家に入れたら物を盗られないように絶えず見張っていなければいけない街なので、最初の4年は日本人留学生がよく頼んでいる調律師さんにお願いしていました。
でも、その人はどうも調律好きの素人に毛が生えた程度の腕前で、すぐに音が狂ってしまいます。
(これは調律師の良し悪しの見分け方のポイントの一つです。上手な美容師さんにカットしてもらうとヘアスタイルが長持ちするのと同じ。)

それが、3年生の終わり頃オルガンを始めて、音楽院のオルガンの調律をしている気のいいおじさんアンドレイと知り合いました。
彼はオルガンだけでなくピアノの調律もしているとのことだったので、一度彼にお願いしてみました。
調律が終わった後に少し弾いてみると・・・。
まるで魔法がかけられたかのように鍵盤が軽い!
音の響きだけでなく、ピアノに触れた時の感触が全く違います。
調律師の能力でここまで楽器が変わるか、というのを目の当たりにした瞬間でした。

ところ変わって現在日本で毎日練習にお付き合いしてもらっているカワイは、そろそろ寿命ということもあり、タッチを変えてもほとんど応えてくれません。
楽器からインスピレーションをもらうことなど皆無。
どんな楽器でも弾きこなせねば、とは思いますが、毎日のことなので結構フラストレーションがたまります。
そのイライラをいつもお世話になっている調律師さんにぶつけたところ、何時間もかけて丁寧に調律してくださいました。

調律後、落ち着いて練習してみると、タッチが違う!!!
鍵盤が下りる感触が全く違います。
一体どんな魔法を使ったんだろう?となんだか狐につままれたような気分になるとともに、調律師さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。
この調子で調整を重ね、20年もの間寄り添ってきたピアノさんにもう少し長生きしてもらわねば・・・。

広告の力

Posted by музыка on 11.2008 コンサート   3 comments   0 trackback
6年間のモスクワ生活で今の日本ではおそらく考えられないような経験をたくさんしましたが、その中から前回の話と関連するものをひとつ:

ずっと音楽院の寮に住んでいた私は、必要最低限の電化製品しか持っていませんでした。
音楽を聴くためのコンポは必需品、台所が遠いため部屋でお茶を入れるのに大活躍の湯沸しポット、しょっちゅう霜取りをしてあげないとかまくらのようになってしまう冷蔵庫、先輩から譲り受けたトースター、みんなで使いまわしたアイロン、最低限の機能しかない携帯電話、ただのバケツじゃありま洗(脱水機能なしの回るだけの洗濯機です。日本から必死の思いで持って行きました)くらいかな。

日本でならどこにでもあるものが欠けていると思いませんか?
そう、テレビです。
私はほとんどテレビも見ず、ラジオも聞かず、新聞も読まず、ネットも使えずで6年を過ごしました。
ある意味世界から隔離された生活の中で私が気づいたのは広告の力です。

全くコマーシャルを見ていない私にとっては、買い物する時もレストランに行く時も味を判断するのは自分の舌のみ。
まずいものはまずいし、おいしいものはおいしい。
まずいものは買わないし、おいしいものはリピーターになる。
本来当たり前の感覚ですよね。

でも、ある日友達のアパートに遊びに行ってテレビを見ていると、まずいので私がいつも避けているビールをいかにもおいしそうにカッコよく宣伝してるではありませんか!
まずいのをよく知っているにもかかわらず、なんだか飲みたくなってしまったほどです。
その時に、「ああ、これが広告の力なんだ」と思いました。
日本にいてもテレビコマーシャルを信じているわけではありませんが、ここまでギャップを感じられたのは、やはり普段テレビと無縁の生活をしていたからでしょう。

音楽も同じ。
宣伝に莫大な費用をかけているからといって、良いとは限りません。
超有名な音楽家を聴いてうんざりすることもあれば、一学生の演奏を聴いて涙することもあります。
やはり信じられるのは自分の耳のみ。
そう思えるようになったのは、ルックス重視の日本のクラシック界からしばらく離れていたせいかな。
モスクワには、美男でも美女でもないし、有名でもないけれど、心が震えるような演奏をする人たちがたくさんいました。
そういう人たちを聴けたのは、私の中の宝です。

良い芸術というのは、エネルギーを放ち、人の心に伝わるものです。
絵画や彫刻のことは全くわからない私でも、そういう作品からはオーラを感じます。
でも、深く知れば知るほど理解できる部分が増えていくのが音楽の楽しみ。
一つの作品を何万人もの人々が弾いても、十人十色ならぬ万人万色の解釈があるクラシック音楽に関わっていられることを感謝して、今日も練習に励んでこようと思います。

ウラディーミル・ガルージン

Posted by музыка on 07.2008 ロシア   3 comments   0 trackback
去年のサイトウ・キネン・フェスティヴァルにも出演していたテノール歌手、ウラディーミル・ガルージンのインタヴューを読んでいて、面白かったので、一部載せてみます:

現在、観客にとっては音楽家の質よりも、知名度の方が重要だ。私はよく、とっくに年金生活に入っていた方がいいような往年のスター歌手達と共演するが、彼らの声よりも膝がガクガク軋む音のほうが大きいくらいだ。しかし、観客は、まるでつんぼのゾンビであるかのように、こちらが恥ずかしくなるほど熱烈な拍手を送る。
「名声」や「スター」とかいった言葉を聞くと不安になる。というのも、そういう言葉は価値を下げるからだ。例えば、私は舞台人としてのアンドレア・ボチェッリは好きだ。彼はとても感じのいい人間だが、オペラ歌手としてはちょっと・・・。しかし彼はスターであり、困ったことに、大部分の観客は、彼の舞台こそが真の、そして最高のオペラであると信じ込んでいる。
だから私は自分の宣伝にびた一文出す気はない。それは私がどケチであるからではなく、ただ単にそれが必要だとは思わないからだ。ペプシがそこいらじゅうで宣伝しているのに対して、30年物のフランスワインの宣伝はされていない。なぜなら、そういうワインを飲むのは本当に味のわかる人間だけだからだ。

この皮肉の効き方がいかにもロシア人。
でも、このペプシ云々のオチで、「カッコいい~!」と惚れこんでしまいました。
拙訳でこのロシアン・ユーモアが伝わったかしらん。
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